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盛岡地方裁判所 昭和45年(ワ)345号 判決

原告 竹田由美

〈ほか九名〉

右原告一〇名訴訟代理人弁護士 阿部一雄

同 畑山尚三

被告 三重急行自動車株式会社

右代表者代表取締役 土方大貳

右訴訟代理人弁護士 永井一三

被告 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 三井速雄

〈ほか六名〉

被告 三重県

右代表者知事 田川亮三

右訴訟代理人弁護士 吉住慶之助

被告 熊野市

右代表者市長 坪田誠

右訴訟代理人弁護士 土橋修丈

主文

一  被告三重急行自動車株式会社及び被告三重県は、連帯して

原告竹田由美に対し金四二四万七、八三四円

同荒屋健司に対し金四二四万七、八三四円

同荒屋ミヨに対し金三九九万七、八三四円

同竹田健一に対し金三〇万円

同竹田キヨノに対し金三〇万円

同荒屋由太郎に対し金二〇万円

同荒屋ヒサに対し金二〇万円

同外川勘次郎に対し金四二五万四、七三四円

同外川フミに対し金四一〇万四、七三四円

同立花ケイ子に対し金三五万円

並びに右各金員に対するそれぞれ昭和四五年一〇月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告三重急行自動車株式会社及び被告三重県に対するその余の各請求、並びに被告国及び被告熊野市に対する各請求は、いずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告国及び被告熊野市との間においては、全部原告らの負担とし、原告らと被告三重急行自動車株式会社及び被告三重県との間においては、原告らに生じた費用の五分の一を右両被告の連帯負担とし、その余は各自の負担とする。

四  この判決の主文一は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らは

1  被告らは、連帯して、原告竹田由美及び同荒屋健司に対しいずれも金一、二七二万六、二六六円、同荒屋ミヨに対し金一、〇六〇万一、八〇一円、同竹田健一及び同竹田キヨノに対しいずれも金一五〇万円、同荒屋由太郎及び同荒屋ヒサに対しいずれも金五〇万円、同外川勘次郎に対し金一、六八九万四、〇四七円、同外川フミに対し金一、六五一万八、五一二円、同立花ケイ子に対し金五〇万円、並びに右各金員に対するそれぞれ昭和四五年一〇月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決、並びに仮執行宣言を求めた。

二  被告三重急行自動車株式会社(以下被告会社という)、被告国、被告三重県(以下被告県という)は、「原告らの各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、なお、被告国、被告県は、予備的に、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

三  被告熊野市(以下被告市という)は、本案前の裁判として「本件訴を却下する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を、本案についての裁判として「原告らの各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、なお予備的に、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二原告ら主張の請求原因

一  事故の発生

原告立花ケイ子、亡竹田忠雄及び亡外川文雄の三名(以下右三名を被害者らと総称することもある)は、岩手県岩手郡玉山村農業協同組合(以下単に玉山村農協などという)に勤務する職員で、同農協の行事として、同僚一五名と共に、昭和四四年六月二四日以来、運転手広富雄、車掌兼ガイド高橋文子(以下単に高橋という)が乗務する被告会社の貸切バスを利用して、南紀方面を観光旅行していたものであるが、同月二六日午前九時三〇分頃、三重県熊野市所在吉野熊野国立公園特別地域の鬼ヶ城を見物するため、鬼ヶ城西口側で本件バスを降り、一行と共に、徒歩で右鬼ヶ城西口側から東口側に向かい、その途中同市木本町字城山脇の浜地内木本漁港船着場(以下単に船着場という)を経て、その南端に設置されていた第一防波堤とその南方約七~八メートル先の第二防波堤(以下それぞれ第一防波堤、第二防波堤という)との間の岩場(以下ここを事故現場という)にさしかかった際、折柄打ち寄せた高さ六メートル余りの高波に襲われて海中に転落した。その結果、右竹田および外川は死亡し、原告立花は仮死状態で救助されたが、右膝左足背擦過傷、頸部症候群等の傷害を負った。

二  被告会社の責任

1  本件事故は、右のバスに車掌兼ガイドとして乗務していた高橋の過失によるものである。すなわち

(一) 高橋は、被害者らの一行一八名を鬼ヶ城地内に観光案内すべく、その西口側駐車場において、右一行と共にバスを降りた。

(二) ところで、鬼ヶ城は、東西約一キロメートルにわたって、陸地から熊野灘に突き出た岬であるが、その西口側から訪れる観光客に、波浪に侵蝕された奇岩怪石の景勝を回遊しながら眺望させる目的で、第一防波堤及び第二防波堤のそれぞれ鬼ヶ城岩壁寄りの部分に、徒歩で登り降りのできる階段が設けられ、第二防波堤の南東側に続く波打ち際の岩場には、階段状の刻みをつけたり、あるいは自然の岩場をそのまま利用したりした通路が造られている。そして、船着場を経由し、第一防波堤の階段を越えて事故現場を通り、さらに第二防波堤の階段を越えて右通路に至るのが、鬼ヶ城西口側からの回遊路のひとつとなっていた(以下これを旧回遊路という)。

(三) 事故現場は、第一防波堤と第二防波堤との中間に当たる波打ち際の天然の岩場で、何らの防護施設もなく、風浪の強い場合はもとより平常時においても、観光客などが高波にさらわれる危険のある場所である。

しかも、本件事故当時、三重県下一帯に風雨波浪注意報が発令され、事故現場附近にも熊野灘の波浪が高く打ち寄せていたが、危険標識等の設置はなく、また何らの通行規制措置もとられていなかった。

(四) 一方、鬼ヶ城西口側から回遊するコースとして、旧回遊路のほかに、船着場まで至らずに、左手山側の稲荷神社の鳥居をくぐってその参道を登り、海面より高さ一五ないし二〇メートルの海蝕部分の上部を通る新しい回遊路が開設されていた(以下これを新回遊路という)。

(五) なお、ガイドの高橋は、鬼ヶ城西口側から観光客を案内するのは、本件のときが初めてで、鬼ヶ城西口側附近の地理に不案内であり、新回遊路の所在も知らなかった。

(六) 右の如き状況下においては、高橋は、該土地に不案内な観光客を案内するバスガイドとして、必ず新回遊路の西入口の所在を確認し、旧回遊路を避け、新回遊路へ観光客を案内誘導するなどして、その安全の確保につとめるべき業務上の注意義務があったものというべきところ、これを怠り、新回遊路の西入口の所在を確認することなく、漫然と被害者らの一行を、前記の経路により危険な事故現場へと案内するという過失を犯し、前記死傷の結果を生ぜしめたものである。

2  被告会社は、一般乗合旅客自動車運送並びに一般貸切旅客自動車運送事業を営み、その事業のため高橋を使用していたものであるところ、その高橋が右事業の執行につき本件事故をひき起こしたのであるから、民法七一五条により本件事故による原告らの損害を賠償する義務がある。

3  仮に、被告会社に不法行為責任がないとしても、被告会社は、玉山村農協一行との間で、善良な管理者の注意をもって、観光目的地までの単なる運送のみならず、車外での観光地案内を行う旨の契約を締結したが、右契約に違反し、その履行補助者たる高橋の過失により、右の一行をして本件事故に遭遇せしめたものであるから、契約不履行に基づき、原告らの損害を賠償する義務がある。

三  被告国の責任

1  旧回遊路は、被告県が厚生大臣の承認を得て国立公園に関する公園事業の一部の執行として設置し、同県知事が管理していたものであるが、被告国も、旧回遊路について、国立公園特別区域に属するものとして管理の権限を有するものというべきである。

然るに、被告国の旧回遊路に対する管理に瑕疵があった。すなわち、鬼ヶ城には年間数十万人の観光客が訪れ、しかもその大部分が遠来の初めて訪れる客であって、鬼ヶ城の地形、気象状況による環境の変化等について不案内な者であり、また、旧回遊路のうち事故現場附近は、前記のとおり、平素から遊歩中の観光客が高波にさらわれ、海中に転落する危険のある場所であるから、観光客の安全確保のためには、かかる危険箇所に適当な防護施設を設け、少なくとも、本件事故当時の如く風雨波浪注意報が発令されている場合には、旧回遊路に危険標識あるいは通行禁止標識等を設置することが必要であったところ、これらの設備がなかったのであるから、旧回遊路は、通常具備すべき安全性を欠き、これに対する被告国の管理に瑕疵があったものというべきである。

そして、本件事故は右の瑕疵によって生じたのであるから、被告国は、国家賠償法二条一項に基づき、右による原告らの損害を賠償する義務がある。

2  また、被告国は、その公権力の行使に当たる厚生大臣が、旧回遊路を、国立公園の公園計画、公園事業の一環として決定するについて、旧回遊路に右のような欠陥があることを看過するという過失を犯し、その結果本件事故を発生せしめ、違法に原告らに損害を与えたものであるから、国家賠償法一条一項に基づき、右の損害を賠償する義務がある。

3  なお、被告国は、仮に旧回遊路の管理者には当たらないとしても、被告県が公園事業の執行として旧回遊路を設置するについて、右事業執行の費用を補助しているのであるから、国家賠償法三条一項に基づき、前記瑕疵により生じた原告らの損害を賠償する義務がある。

4  さらに、事故現場附近が、港湾法の適用を受け、被告県の設置管理にかかる木本港の港湾施設内であるとしても、その港湾施設としての設置管理について瑕疵があり、そのため本件事故が発生したのである。

すなわち、旧回遊路は、従来から、定まったコースとして事実上観光客に利用されてきたことに変りがなく、かつそれが回遊路として通常具備すべき安全性を欠いていたことも前記のとおりである。また仮に、事故現場が従前も回遊路として利用されたことがなく、純然たる港湾施設の一部にすぎないとしても、前記稲荷神社の鳥居が新回遊路の西入口であることを明示し、あるいは新回遊路を通行するよう指示する標識等がなく、右鳥居附近にある案内図には新旧両回遊路が図示されているものの、新回遊路の西入口の表示が不鮮明なため、遠来の観光客としては、右鳥居が新回遊路の西入口であるとは知らず、誤って船着場を経由して危険な事故現場に至ることが自然の成りゆきというべき情況にあったにもかかわらず、右の危険箇所への立入を禁止し、あるいは荒天時における通行を規制するものが何もなかったのであるから、右の港湾施設は、通常具備すべき安全性を欠いていたものというべきである。

そして、被告国は、被告県が右木本港の港湾施設を設置するについて、工事費用の一部を一定の割合で負担しているものであるから、前同様国家賠償法三条一項による責任を免れない。

四  被告県の責任

1  被告県は、前記三の1のとおり、旧回遊路を、公園施設として設置管理しているものであるところ、右の管理に瑕疵があったために本件事故が発生したのであるから、国家賠償法二条一項に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償する義務がある。

2  仮に、本件事故現場附近が港湾施設内であるとしても、被告県は、前記三の4のとおり、右港湾施設を管理するものであるところ、その港湾施設としての管理についても瑕疵があり、そのため本件事故が発生したものというべきであるから、右1と同様の賠償責任を免れない。

五  被告市の責任

1  被告市は、鬼ヶ城が同市の唯一の観光資源であるため、観光客の誘致に努めるとともに、新回遊路の設置を要望し、なお、回遊路を改修し、安全柵、案内板、標識等を設け、荒天の際は通行規制措置をとるなど、現実に新旧両回遊路の管理に当たってきたものであるところ、前記三の1のとおり、旧回遊路の管理に瑕疵があり、そのため本件事故が発生したものというべきであるから、国家賠償法二条一項に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償する義務がある。

2  仮に、被告市には旧回遊路についての管理責任がないとしても、本件事故は、被告市の商工観光課長波戸吉二郎の過失により生じたものである。

すなわち、同人は、観光課長として、鬼ヶ城への観光客誘致、観光施設の整備保全等に関する業務全般を掌っていたものであるが、旧回遊路が、前記のとおり、通行中の観光客が高波にさらわれ、海中に転落する危険のある場所であるから、観光客に対しより安全な新回遊路を通行すべきことを明示した案内板、標識を設置するなど、観光客に波浪による危険が及ばないように適切な措置を講じ、かつ常に熊野灘の風雨波浪状況を把握して、適宜旧回遊路の通行を規制すべき注意義務があるところ、これを怠り、特に、本件事故当時三重県下に風雨波浪注意報が発令され、熊野灘が荒れて旧回遊路の通行が危険であったのに、何らの措置も講じないで放置したものであって、結局、過失により違法にその職務を行なわなかったことに帰する。

そして、右の結果本件事故が発生したのであるから、被告市は、国家賠償法一条一項に基づき、仮にそうでないとしても民法七一五条に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償する義務がある。

3  仮に、本件事故現場が、臨港道路であるとしても、被告市は、これを市道として管理するものであるところ、前記三の4のとおり、臨港道路としての管理についても瑕疵があり、そのため本件事故が発生したものというべきであるから右1と同様の賠償責任を免れない。

六  被告らの共同不法行為

本件事故は、被告らの前示各行為が関連共同して惹起されたものであるから、被告らは、民法七一九条一項により、右事故による損害を連帯して賠償すべきである。

七  本件事故により原告らに生じた損害

1  原告竹田由美、同荒屋健司について、それぞれ合計金一、二七二万六、二六六円

(一) 亡竹田の逸失利益相当額の損害賠償請求権の相続分 各金九七二万六、二六六円

亡竹田は、死亡当時二七歳の健康な男子であり、昭和四四年七月から、定年(五五歳)となる昭和七三年二月まで就労し、その間同農協から、別表(一)記載のとおり、その給料表を基準としさらに年齢の上昇に伴う昇給や右給料表の改訂をも考慮して算出した額の現金給与の支給を受けるはずであったから、その三割を生活費として控除したうえ、ホフマン式方法により計算すると、その逸失利益の現価が金二、五六二万四、九七四円となる。

また同人は、満五五歳で定年を迎えると、金八一六万円の退職金の支給を受けるはずであったから、死亡により受領済の金三四万〇、八〇〇円を控除したうえ、その残額についてホフマン式方法により計算すると、その逸式利益の現価が金三五五万三、八二六円となる。

したがって右を合計した金二、九一七万八、八〇〇円が、亡竹田の死亡による逸失利益に相当するが、同人の相続人は、子である原告由美、同健司、及び妻であった原告荒谷ミヨの三名であるから、原告由美、同健司は、それぞれ右の三分の一に当たる金九七二万六、二六六円について、亡竹田の損害賠償請求権を相続したことになる。

(二) 慰藉料 各金三〇〇万円

原告由美、同健司は、本件事故により父親を失い多大の精神的苦痛を受けた。

2  原告荒屋ミヨについて、合計金一、〇六〇万一、八〇一円

(一) 原告ミヨは、妻として、亡竹田の前記逸失利益額の三分の一に当たる金九七二万六、二六六円について、同人の損害賠償請求権を相続した。

(二) 慰藉料 金五〇万円

原告ミヨは、本件事故により夫を失い多大の精神的苦痛を受けた。

(三) 葬儀費用 金三〇万円

(四) 本件事故処理に要した費用 金七万五、五三五円

原告ミヨは、本件事故処理のため、交通費として金六万〇、八五〇円、現場滞在費として金一万四、六八五円、合計金七万五、五三五円を支出し、同額の損害を蒙った。

3  原告竹田健一、同竹田キヨノについて、それぞれ金一五〇万円(いずれも慰藉料)

亡竹田は原告健一と同キヨノとの間の養子であるから、右原告両名は、亡竹田が本件事故で死亡したことにより多大の精神的苦痛を受けた。

4  原告荒屋由太郎、同荒屋ヒサについて、それぞれ金五〇万円(いずれも慰藉料)

亡竹田は原告由太郎と同ヒサとの間の実子であるから、右原告両名は、亡竹田が本件事故で死亡したことにより多大の精神的苦痛を受けた。

5  原告外川勘次郎について、合計金一、六八九万四、〇四七円

(一) 亡外川の逸失利益相当額の損害賠償請求権の相続分金一、三五一万八、五一二円

亡外川は、死亡当時一九歳の健康な男子であり、昭和四四年七月から定年(満五五歳)となる昭和八〇年二月まで就労し、その間同農協から、別表(一)記載のとおり、その給料表を基準としさらに年齢の上昇に伴う昇給や右給料表の改訂をも考慮して算出した額の現金給与の支給を受けるはずであったから、その三割を生活費として控除したうえ、ホフマン式方法により計算すると、その逸失利益の現価が金二、三七七万二、一一五円となる。

また同人は、満五五歳で定年を迎えると、金七七〇万四、〇〇〇円の退職金の支給を受けるはずであったから、死亡により受領済の金三万〇、八八五円を控除したうえ、残額についてホフマン式方法により計算すると、その逸失利益の現価が金三二六万四、九一〇円となる。

したがって、右を合計した金二、七〇三万七、〇二五円が亡外川の死亡による逸失利益に相当するが、同人の相続人は、その両親である原告外川勘次郎と同外川フミだけであるから、原告勘次郎は、右の二分の一に当たる金一、三五一万八、五一二円について、亡外川の損害賠償請求権を相続したことになる。

(二) 慰藉料 金三〇〇万円

原告勘次郎は、亡外川の実父として、同人が本件事故で死亡したことにより多大の精神的苦痛を受けた。

(三) 葬儀費用 金三〇万円

(四) 本件事故処理に要した費用 金七万五、五三五円

原告勘次郎は、本件事故処理のため、交通費として金六万〇、八五〇円、現場滞在費として金一万四、六八五円、合計金七万五、五三五円を支出し、同額の損害を蒙った。

6  原告フミについて、合計金一、六五一万八、五一二円

原告フミは、実母として亡外川の前記逸失利益額の二分の一に当たる金一、三五一万八、五一二円について、同人の損害賠償請求権を相続したが、なお、同人の死亡により受けた精神的苦痛も甚大であり、これに対する慰藉料としては金三〇〇万円が相当である。

7  原告立花ケイ子について、金五〇万円

原告立花は、本件事故により前記の傷害を負い、現在なお頸部症候群の治療のため通院しているが、そのための肉体的精神的苦痛は著しく、これに対する慰藉料としては金五〇万円が相当である。

八  結論

以上のとおりであるから、被告らは、本件共同不法行為に基づく損害賠償として、原告らに対し、それぞれ各人につき生じた前記各損害額に相当する金員、およびこれに対するそれぞれ昭和四五年一〇月一日(全被告に対し本件訴状の送達が完了した日の翌日)から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、連帯して支払う義務がある。

第三被告らの答弁、抗弁その他の主張

一  被告会社

1(一)  請求原因一のうち、玉山村農協の一行が鬼ヶ城西口側でバスを降り、原告ら主張の場所において、亡竹田及び亡外川が海中に転落死亡し、原告立花が転落受傷したことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 請求原因二のうち、ガイドの高橋が鬼ヶ城西口側で右の一行と共にバスを降りてこれに同行したこと、鬼ヶ城が観光客の多い景勝地であること、本件事故当時三重県下に風雨波浪注意報が発令されていたこと、本件事故現場附近に危険を示す標識がなかったこと、新旧両回遊路が存在すること、高橋が西口側からの案内経験がなく、附近の地理に不案内であったこと、被告会社が原告ら主張のような事業を営んでいることは認めるが、鬼ヶ城の地形や回遊路の状況は知らない。その余の事実は否認し、争う。

(三) 請求原因六、七については、原告らの身分関係のみ認め、その余は争う。

2  本件事故について、ガイドの高橋に過失はない。すなわち、いわゆるガイドの職務内容は、車掌に準ずる職務を遂行することであって、車内において沿線案内をするのはバス会社のサーヴィスにすぎず、車外での案内はその職務内容に含まれない。また、ガイドが下車地において旅客と行動を共にすることがあるのは、旅客を掌握するのに必要だからであり、本件において、高橋が鬼ヶ城西口側で下車後被害者らの一行と行動を共にしたのも、そのためであった。したがって、同女は、鬼ヶ城の観光案内をしたのではなく、職務としてその案内をすべき義務があったわけでもないのであるから、原告ら主張のような注意義務がなかったものというべきである。

3  なお、高橋は、下車に際し、念のため、右の一行に対し「気をつけるように」と声をかけて注意を促しているのであるから、ガイドの服務規定に照らしても十分な注意義務を尽くしたものといえる。

4  また、本件事故は、被告会社にとって不可抗力によるものであった。すなわち、当時、西口側にある案内板の新旧両回遊路の表示が不鮮明で、より安全な新回遊路の入口の所在が判然とせず、しかも、旧回遊路につき通行止等の措置がとられていなかったなど、被告市の指示及び管理が不完全であったから、観光客としては、船着場を経由する旧回遊路へと向かうのが普通であるし、地元民でない限り、そこが、本件事故をもたらしたような熊野灘特有の大波が瞬間的に襲来する場所であるなどとは、だれも予期することができなかったのである。

5  仮に、高橋に過失があったとしても、被告会社は、同女に対し、車掌としての心構え、車内案内の方法、運行中の危険防止等について、随時社内教育を実施し、毎日の点呼等においても、旅客の安全の徹底を図ってきたものであるから、右被用者の選任及び事業の監督に相当の注意を尽くしたものというべきである。

6  さらに、本件運送契約は、昭和四四年六月二四日、盛岡市の藤倉ドライブクラブが玉山村農協を代理し、訴外三重交通株式会社との間で締結したものであり、被告会社は、右訴外会社から、貸切バス運行の下請負をしたにすぎないから、被告会社と乗客との間には契約上の関係が存しない。仮に、両者間に契約関係があるとしても、その契約内容は、自動車を使用して旅客を運送することにあるから、被告会社が責任を負うべき範囲も、旅客を乗車させて運行をしている間に限定されるのであって、本件のようにその途中で旅客が観光のため下車した間に起きた事故については、被告会社に責任がない。

7  被告会社は、後記被告市の主張8の時効の抗弁を援用する。

8  仮りに、被告会社に何らかの責任があるとしても、被告会社は、本件事故の事後処理のため、捜索関係費として金七四万四、四〇〇円、医療費、柩代、香典、見舞金等として金四八万七、六五〇円、交通通信費として金四万九、六一〇円、合計金一二八万一、六六〇円を支出したのであるから、その分を損害賠償額から控除すべきである。

二  被告国

1(一)  請求原因一のうち、亡竹田及び亡外川の死亡及び原告立花の受傷の事実は認めるが、その余は知らない。

(二) 請求原因三のうち、本件事故当時三重県下に風雨波浪注意報が発令されていたことは認めるが、その余の事実はすべて否認し、争う。

(三) 請求原因六、七については、原告らの身分関係のみ認め、その余は争う。

2  自然公園法における国立公園は、いわゆる営造物公園と異なり、一般に広い区域を定めたうえ、自然公園としての目的を達成させるのに必要な限度で、その区域内での一定の行為を禁止又は制限するにすぎない、いわゆる地域性公園であって、国立公園に指定された区域内の土地が国家賠償法にいう公の営造物に該当するものではなく、また、国立公園内のすべての施設について、国がその設置管理上の責任を負うものでもない。

そして、本件事故は、被告県が環境庁長官(当時は厚生大臣)の承認の下に、国立公園事業の執行として設置した回遊道路上ではなく、被告県が設置管理している木本港の港湾施設の区域内で発生したものにすぎない。原告らが主張する旧回遊路なるものは、国立公園事業の執行として設置されたものではなく、事実上国立公園施設として利用されてきたものでもない。

したがって、本件事故が国立公園施設である回遊道路上で発生したことを前提として、被告国に国家賠償法上の責任があるとする原告らの主張はすべて理由がない。

3  また、木本港は、いわゆる地方港湾であって、港湾法四二条にいう「重要港湾」「特定重要港湾」ではなく、また「避難港」でもないから、被告国は、その港湾工事の費用を負担していない。

4  仮に、被告国に何らかの責任があるとしても、被告国は、後記被告市の主張8の時効の抗弁を援用する。

5  さらに、被告国は、以上の主張がすべて理由がないとしても、過失相殺を主張する。すなわち、熊野灘は、その前日から低気圧の通過により荒れ模様で、本件事故当時には風雨波浪注意報が発令中であり、被害者らの一行も、西口側駐車場に到着した時には眼下に熊野灘の荒れ狂う状況を見ることができ、また降車し同所から事故現場に至るまでの間にも、同所附近の波浪の状況を確認できたはずである。しかも、被害者らは、事故現場手前の木本港物揚場附近で一度大きな波に襲われたのであるから、そこから先に進むのを中止すべきであったのに、周期的に打ちつける高波をくぐりながら敢えて岩場に降りたため、事故に遭遇したものであって、その行動は自殺的行為に等しい。したがって、本件事故については、被害者らに重大な過失があるから、この点を賠償額の算定に当たり斟酌すべきである。

三  被告県

1(一)  請求原因一は知らない。

(二) 請求原因四のうち、本件事故当時三重県下に風雨波浪注意報が発令されていたこと、事故現場が港湾法の適用を受け、被告県の管理する港湾施設内であることは認めるが、その余の事実はすべて否認し、争う。

(三) 請求原因六、七については、原告らの身分関係のみ認め、その余は争う。

2  事故現場は、被告県が木本港の港湾区域に指定した地域内、あるいは港湾施設たる第一防波堤と第二防波堤の中間地帯であり、西口側から第一防波堤の斜面に造られた階段を経て事故現場に通ずる道路は、右港湾施設に属する臨港道路たる市道であって、いずれも、従来もっぱら港湾施設としての利用目的に供されてきたものであるから、本件事故が国立公園施設たる回遊路上で発生したことを前提として、被告県に国家賠償法上の責任があるとする原告らの主張は、すべて理由がない。

また、被告県は、港湾管理者として、右の道路につき、港湾利用以外の目的で通行する者のために、港湾施設である旨の標示をしたり、一般道路なみの安全施設を設けたりする必要はないから、港湾施設の設置管理について瑕疵があったともいえない。

すなわち、原告らの主張する旧回遊路なるものは、地元の釣人などのために、海岸の岩壁や岩盤の数か所を削るなどして作った事実上の通路であり、第一、第二防波堤の階段も、港湾施設の利用上、管理上の目的で設けられたものであって、これらは西口側から鬼ヶ城へ至る近道コースとして利用しようとすれば利用し得る位置、状態にあったというにすぎない。したがって、旧回遊路なるものは、元来一般道路としての安全性が要求されるべき性質のものではなく、仮に、本件事故当時、そこが事実上鬼ヶ城回遊道路の一端として利用されていたとしても、高波等の危険のある気象状態の下では、これを利用することが元来予定されていないものである。

3  なお、鬼ヶ城回遊路の西口側の入口が稲荷神社の鳥居であることは、附近の地形、右鳥居やこれに続く階段の状況、右鳥居と並ぶ鬼ヶ城案内図の大看板及び小看板(危険標示、水遊び禁止等を内容とする)の記載などから容易に認識できるのであり、通常の知識と判断力を有する観光客ならば、経路を誤って事故現場に至るということは考えられないから、被告県において、さらに危険防止のための措置を講ずる必要はない。

4  仮に、事故現場が鬼ヶ城回遊路上であるとしても、本件事故は、被害者らが、暴風雨の中を異常な高波を見ながら漫然これに接近し、かつ、バスガイドもこれを誘導したという異常な状況、条件下において発生したものであるから、回遊路として通常備うべき安全性をもってしては、これを避けることができなかった。

5  仮に、被告県に何らかの責任があるとしても、原告らの請求権は三年の時効により消滅した。そして、右の抗弁が理由なしとしても、被告県は、後記被告市の主張8の時効の抗弁を援用する。

6  亡竹田及び亡外川の逸失利益の現価の計算については、ライプニッツ式によるべきで、ホフマン式によるのは適切でない。

また、原告らは、本件訴訟の当初において、右両名の生活費の控除率を五割と主張していたが、結審近くになって、突如右控除率を三割に引き下げた。右は、自白の撤回に当たるところ、撤回について正当な理由がなく、また右控除率を低減すべき合理性もないから、許されない。

7  以上の主張がすべて理由がないとしても、被告県は過失相殺を主張する。すなわち、熊野灘は、その前日から低気圧の通過により荒れ模様で、本件事故当時には波浪注意報が発令中であった。

また、事故現場は、常時波に洗われる自然の岩盤地帯であり、なおその波が極めて高いため、近くに防波堤が二重にも構築され、西口側からやって来る者の行手を塞ぐような形になっている場所であって、普通の観光客は、たとい誤って事故現場の方へ進入したとしても、本件のような異常な天候のもとで、第一防波堤に立って足元及び前方を望めば、一見して、本来の回遊道路とは異なる危険なコースに踏み込んだのではないかと気がつくはずである。ところが、被害者らは、群集心理にかられ、前記鳥居から入る安全な回遊コースを無視し、危険区域である旨の注意、警告を確認せず、かつ引率したガイドへの協力を欠いたまま、異常な高波を見ながら漫然と本件事故現場に接近したものである。

他方、被告会社は、鬼ヶ城所在地に営業所を有し、鬼ヶ城観光を目玉商品のひとつとしてバス運行をしているのに、平素鬼ヶ城西口側の地理調査を怠り、ガイドの高橋にも、事故当日の気象状態を十分に確認せず、かつ被害者らを誘導案内するに当たって、統率を欠くという不手際があった。

したがって、本件事故は、被害者らと高橋ないし被告会社の重大な過失が競合して発生したものというべきである。そして、その過失割合は九割を下らない。

四  被告市

(本案前の抗弁)

本件事故直後の昭和四四年一一月一四日、弁護士亡吉田賢雄が原告らの訴訟代理人として被告市を訪ね「被告市は鬼ヶ城の管理者ではないので、その責任を追及する意思はない」と述べて、本件事故の調査につき被告市の協力を要請したので、被告市は、これに応じた。したがって、原告らと被告市との間には、本件事故につき不起訴の合意が成立したものというべきであるから、原告らの被告市に対する本件訴訟は、訴の利益を欠き不適法である。

(本案に対する主張)

1(一) 請求原因一のうち、亡竹田および亡外川が死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 請求原因五のうち、波戸が被告市の商工観光課長であることは認めるが、その余の事実は、すべて否認し、争う。

(三) 請求原因六、七については、原告らの身分関係のみ認め、その余は争う。

2 原告らが、昭和四八年九月四日の第一二回準備手続期日において、被告市に対する主位的請求を、従前の国家賠償法一条に基づくそれから同法二条に基づくそれに変更したのは、被告市をして、従前と著しく異なった攻撃防禦方法の検討を余儀なくさせるものであって、訴訟上の信義則に反し、かつ原告らの重大な過失により時機に遅れた攻撃方法に当たるから、許されるべきでない。

3 自然公園法等によれば、地方公共団体等は、公園事業として施設を設置し、当該施設を管理経営しようとするときは、厚生大臣に所定の申請をしてその認可を受けることにより、公園事業の一部について執行者となるとされているところ、被告市は、鬼ヶ城の公園事業の執行について右の認可申請手続をしたことも、その執行主体としての承認を受けたこともない。

そして、本件事故は、国立公園内ではなく、港湾施設内(外洋側つまり東側の防波堤まで)で発生したものであり、なお、原告ら主張の旧回遊路は、地元の釣客などに利用されていた程度の事実上の通路にすぎず、昭和二七年五月二八日に港湾施設ができた後には人の通行もなかったものである。

4 仮に、被告市に、本件事故現場附近一帯の管理責任があるとしても、被告市の商工観光課長が案内板等を設置する行為は、公権力の行使に当たるものではなく、仮にそれに当たるとしても、同課長には、法律条例等に照らし、それらを設置すべき作為義務があるとはいえないから、その不作為をもって違法とすることはできない。

5 また、本件事故は、被害者ら自身の常軌を逸した行動と被告会社の被用者の業務上の知識の欠如及び不注意とに基因するものであって、被告市の管理の瑕疵あるいは不作為との間に因果関係がない。

6 被告市は、前記被告県の主張4を援用する。

7 原告らは、前記のとおり、昭和四八年九月四日に至って、被告市に対し初めて国家賠償法二条に基づく請求をしたが、本件の時効の起算日は、事故発生の日である昭和四四年六月二六日か、一行のリーダー米島誠悦らが本件事故の事後処理のため被告市に滞在した(その間被告市にも民事責任がある可能性のあることを知り得た)最終日である同年七月二日か、あるいは、前記吉田弁護士が事故現場を調査し、さらに被告市代表者と面会するなどして被告市に対する訴訟準備をした同年一一月一四日であるから、原告らの被告市に対する同法二条に基づく請求権は、おそくとも、昭和四七年一一月一五日で三年の時効により消滅した。

8 さらに、原告らは、昭和五〇年二月六日の第五回口頭弁論期日において、請求総額を金三、三九八万四、〇五九円から金五、九一一万六、一六一円に拡張したが、右拡張部分は、その請求総額が原告由美、同健司、同ミヨ、同勘次郎及び同フミにつきいずれも従前の請求額の二倍以上に増えていること、新たに亡竹田、亡外川の退職金に関する請求がなされていること、生活費控除の割合を従前の五割から三割に引き下げていることなどに徴し、債権の同一性の範囲を逸脱するものというべきであるから、右拡張部分については、本件訴提起(昭和四五年九月二九日、同日は本件事故による損害の発生、および加害者を知った日でもある)による消滅時効中断の効力が及ばず、原告らの請求権が三年の時効により消滅したことになる。

9 なお、被告市は、被告国及び被告県の過失相殺の主張を援用する。

第四原告らの答弁

被告らの抗弁その他の主張はすべて争う。

第五証拠関係《省略》

理由

第一本件事故の発生について

亡竹田及び亡外川が本件事故により死亡したことは、原告らと被告会社、被告国、被告市との間で、原告立花が受傷したことは、原告らと被告会社及び被告国との間で、右三名を含む玉山村農協の一行が鬼ヶ城西口側でバスを降りたこと、右三名が第一防波堤と第二防波堤の間にある岩場から海中に転落したことは、原告らと被告会社との間で、それぞれ争いがない(なお、以上の事実は、その余の被告との関係でも、弁論の全趣旨により肯認することができる)。

そして、《証拠省略》を総合すると、被害者らは、玉山村農協に勤務する職員で、同農協の行事として同僚一五名と共に、昭和四四年六月二四日朝、運転手広富雄、車掌兼ガイド高橋文子が乗務する被告会社の貸切バスで大阪を出発して南紀方面の観光地を巡っていたが、同月二六日午前九時三〇分頃、三重県熊野市所在吉野熊野国立公園特別地域にある鬼ヶ城に到着し、鬼ヶ城西口側駐車場でバスを降りたうえ、徒歩で鬼ヶ城の東口側へ向かい、その途中、同市木本町字城出脇の浜地内の船着場を経て、その南端に設置された第一防波堤とさらに一〇メートル位南にある第二防波堤との間の岩場にさしかかった際、折柄打ち寄せた高波に襲われて海中に転落したものであること、なお、原告立花の受傷の状況も原告ら主張のとおりであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第二被告会社の責任について

一  ガイドの高橋が、鬼ヶ城西口側で、被害者らの一行と共にバスを降りてこれに同行したこと、鬼ヶ城が観光客の多い景勝地であること、本件事故当時三重県下に風雨波浪注意報が発令されていたこと、事故現場附近に危険を示す標識のなかったこと、新旧両回遊路が存在すること、高橋が、西口側からの案内の経験がなく、附近の地理に不案内であったことは、原告らと被告会社との間で争いがない。

二  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない(《証拠判断省略》)。

1  鬼ヶ城は、国鉄紀勢本線熊野市駅東方約一キロメートルにあり、熊野灘の外海に突き出た、東西約一キロメートルにわたり高さ数十メートルの断崖と波の侵蝕作用により生じた洞窟や奇岩の連続する海岸で、吉野熊野国立公園に属する景勝地であり、観光客に右の景観を回遊しながら眺望させる目的で回遊路が設けられているが、その回遊路は、東口側と西口側の二個所からそれぞれ入れるようになっている。

2  被害者らの一行が乗ったバスは、国道四二号線を北上し、一旦鬼ヶ城東口側へ向かったが、途中が一時通行止めになっていたため、鬼ヶ城西口側へ引き返した。

3  右回遊路の西入口は、右四二号線鬼ヶ城トンネルから四五メートル程西にある西口喫茶店西側駐車場脇の階段(防波堤の斜面を利用して造られた高さ約一〇メートルのもの)を降り、熊野灘の入江に沿い熊野市道(浜鬼ヶ城線)を約一三〇メートル南進した地点の山側(東側)に建てられた高さ約三メートルの鳥居であるが、それをくぐり幅一メートル程の石段(稲荷神社への参道)を登り切った辺りから、海面より高さ約二〇メートルの海蝕部分の上部に沿って、鬼ヶ城回遊路が続いている。なお、右のコースは高波に襲われるおそれがない。

4  被害者らの一行は、鬼ヶ城見物のため、前記西口喫茶店西側駐車場でバスを降りたあと、先頭に立って案内する高橋のあとについて、右駐車場脇の階段を降り、市道を南進して前記鳥居のそばまで来たが、同女をはじめだれもその鳥居が回遊路の西入口であることに気がつかず、そのまま右市道を南進し、これに接続する臨港道路を経て船着場へ出た。

5  船着場は、その東側が岩壁で、西側が熊野灘に面しており、なお、その南端には、行く手を塞ぐ形で第一防波堤(船着場からの高さが約一メートル、幅が上部において約〇・六メートル、長さが約六・三メートル)が、またその南方約一〇メートル先にも同様の第二防波堤(ただし、中間にある岩場からの高さが約〇・八メートル、長さが約一〇・五メートル)がそれぞれ設置されているが、右一行は、第一防波堤の東側岩壁寄りに設けられた階段を通って、次々と第一防波堤を越え、第二防波堤の方へ進もうとした。

ところが、その先頭グループ数人が、第二防波堤(同様に東側岩壁寄りに階段が設けられている)を越えた頃、高波が襲い、第一防波堤と第二防波堤の中間の岩場にいた亡竹田及び亡外川と、第一防波堤を越えようとしていた原告立花が、足をさらわれて海中に転落した。なお、右岩場には、防護柵や注意標識はなく、また通行止め等の措置もとられていなかった。

6  ガイドの高橋は、それまでに二回程観光客を鬼ヶ城回遊路の東入口から案内した経験があり、鬼ヶ城は足場の悪いところが多く、波も高いこと、西入口から回遊するコースもあることは知っていたが、西口側から案内するのは初めてで、回遊路の西入口の所在等西口側附近の地理に不案内であったにもかかわらず、少し前に、別の観光バスの観光客が前記駐車場脇の階段を降りて行くのを目撃したため、そのあとをたどって行けばよいものと考え、回遊路の西入口の所在を確認する何らの手段も講じなかったものである。

7  本件事故当時は、熱帯性低気圧の接近に伴い、前夜来三重県下一帯に風雨波浪注意報が発令され、当日の午前七時一〇分には波浪注意報の更新がなされ、鬼ヶ城附近の天候が荒れ模様であった。そして、通常観光バスが駐車し、観光客を案内する鬼ヶ城回遊路東入口では、同日午前九時一〇分頃、危険であるとして通行止の措置がとられていた。

三  以上の認定事実に基づいて考察すると、高橋は、ガイドの立場にあるものとして、当日の波浪の状況に鑑み、被害者らの一行を事故現場の方へ案内すれば高波により不測の事故が起こり得ることを危惧し、他に安全な回遊コースがないかどうかを確かめるなどして、その一行を事故現場附近へ案内誘導することを避けるべき業務上の注意義務があったものといわなければならない。ところが、高橋は、そのような用心深さを欠き、漫然と一行の先頭に立ってこれを前記認定の経路により事故現場へ誘導したのであって、結局同女には、本件死傷の結果につき、右の点で過失があったものといわなければならない。

四  いわゆるバスガイドの職務内容について、たしかに、《証拠省略》によると、ガイドは、被告会社の乗務員勤務規定には「車掌の助手」と、また自動車運送等運輸規則一五条には「運転者の補助者」と、それぞれ規定されているが、《証拠省略》によると、被害者らの一行が乗ったバスは、一般貸切と呼ばれるもので、旅客の希望によって組まれた観光コースに従って運行され、その運行過程において乗客が降車して観光見物することも当然予定されていたことが認められるから、右のような諸規定があるからといって、直ちに、車外での観光案内がガイドの職務内容に含まれないとか、高橋が鬼ヶ城西口側でバスを降りたあと一行と行動を共にしたのは、単に次の行動に備えて旅客を把握するためであったとかは認められず、観光目的地で降車したうえ観光案内をし、かつその際における旅客の安全を確保することも、ガイドたる高橋の職務内容に含まれるものと解するのが相当であって、この点に関する被告会社の主張は理由がない。

五  次に、被告会社主張のように、高橋が、鬼ヶ城西口側で降車する際、被害者らの一行に対し「気を付けるように」と念のため注意を促したという事実があったとしても、それだけでは、同女に課せられた前示注意義務を尽くしたことにはならないことが明らかであるから、この点に関する被告会社の主張も理由がない。

六  さらに、被告会社は、本件事故が不可抗力によるものである旨主張しているが、事故現場附近について通行止め等の措置がとられておらず、かつ前記鳥居のそばに設置されていた鬼ヶ城を立体的に絵図で示す案内図が不鮮明で、回遊路の西入口も表示されていなかったとしても、ガイドの高橋において、何らかの方法により、右の鳥居を西入口とする安全な回遊路があることを知り、そこへ一行を案内誘導することが不可能であったとは、到底考えられない。

また、《証拠省略》によると、右一行の先頭グループにいたガイドの高橋、高村力夫、米島誠悦、右京英夫らは、第一防波堤の約七、八メートル手前に差しかかったとき、二メートルを越える高波が打ち寄せて来たため、一旦はたじろいで逃げたものの、波が引いて行く合間を縫うようにして次々と第一防波堤を越えて行ったことが認められる(《証拠判断省略》)のであって、本件事故を起こした高波が、ガイドの高橋及び被害者らの一行にとって全く予期し得ない程のものであったとはいい難い。

したがって、被告会社の右主張も採用することができない。

七  ところで、被告会社が一般乗合旅客自動車運送並びに一般貸切旅客自動車運送事業を営んでいることは、原告らと被告会社の間で争いがなく、証人高橋文子の証言によると、同女は、被告会社に従業員として勤務し、本件事故当日も、前記のとおり、被告会社の一般貸切バスにガイドとして乗務し、右事業の執行に当たっていたものであることが認められる(《証拠判断省略》)。

八  なお、《証拠省略》によると、被告会社は、バスの車掌やガイドに対し、採用直後に、車掌としての心構え、車輛誘導や踏切誘導の方法、車内での事故防止策等について教育を施し、日常の点呼においても、バスが何泊にも亘る旅行に出ているときに天候が変わったような場合には、最寄りのバス会社等に聞くなどして事前に道路状況を把握するよう指示し、また一般的に、旅客がバスを降りた場合にその安全を図るよう注意を与えていたことが認められるけれども、それだけでは、被告会社において、被用者の選任及び事業の監督につき相当の注意をなしたとまではいえず、他にこれを肯認するに足りる証拠はない。

九  以上によれば、被告会社は、本件事故につき、民法七一五条による損害賠償義務があるというべきである。

第三被告国の責任について

一  船着場から、第一防波堤の階段、事故現場、第二防波堤の階段を順次経由して、その南東先に続く波打ち際の岩場まで至るコース(原告ら主張の旧回遊路)が、国立公園施設たる回遊路のひとつとして開設されたものであることは、これを認めるに足りる証拠がなく、かえって、《証拠省略》によると、右の旧回遊路なるものが、国立公園施設たる鬼ヶ城回遊路として事業執行の対象とされたことはないこと、事故現場附近一帯の海岸は、昭和二七年五月二八日地方港湾地域の指定を受けた場所であり、第一、第二両防波堤、船着場、及び船着場から熊野市道浜鬼ヶ城線に至るまでの延長約四〇メートルに及ぶ臨港道路は、いずれも、木本港の港湾施設として昭和三七年から昭和四二年にかけて竣工したもので、被告県が管理するところの港湾法二条五項にいう港湾施設に当たること、そして、事故現場である第一、第二両防波堤の中間地帯も、港湾施設予定地として、港湾施設に含まれていたことが認められる。したがって、本件事故が国立公園施設たる回遊路上ないしかつて回遊路であった場所で発生したことを前提とする原告らの請求は、前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく、すべて失当に帰する。

二  また、右木本港は、地方港湾であって、港湾法四二条にいわゆる「重要港湾」「特定重要港湾」「避難港」に当たらず、したがって、被告国がその港湾工事の費用負担者ではないのであるから、港湾施設としての設置管理についても瑕疵があったとして、国家賠償法三条により被告国に対し賠償を求める原告らの請求も、右の瑕疵の有無にかかわらず理由がないものといわなければならない。

第四被告県の責任について

一  本件事故は、被告県の管理する港湾施設内で発生したものであり、事故現場が鬼ヶ城回遊路又は事実上回遊路として利用されていた場所でないことは、前記認定のとおりであるから、原告らが被告県に対し、そのような観光施設としての管理に瑕疵があったとして、本件事故について損害賠償を求めることはできない。

二  しかしながら、事故現場一帯を純然たる港湾施設として見た場合、はたして、港湾施設が通常具備すべき安全性に欠けるところがなかったか、つまり、被告県の右港湾施設に対する管理に瑕疵がなかったか否かについて検討すると、先ず、本件事故当時三重県下に風雨波浪注意報が発令されていたことは、原告らと被告県との間で争いがなく、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、その認定に反する証拠はない。

1  前記駐車場脇の階段を降り、熊野灘の入江に沿って、熊野市道浜鬼ヶ城線を一三〇メートル程南進すると、左手山側に鬼ヶ城回遊路の西入口に当たる前記鳥居及び石段があるが、本件事故当時には、右鳥居の南隣りに、鬼ヶ城案内図の大看板(縦一・八二メートル、横二・六五メートル、地上からの高さ約一・五メートル)と、その下に「この附近は危険ですから水泳水遊びはやめましょう」と記載された小看板(九二センチメートル四方)が設置されていたものの、その案内図の絵図が不明瞭で、回遊路の西入口の所在も明示されておらず、他には右鳥居が回遊路西入口であることを表示した看板、立札等が存在しなかったため、初めての観光客にとっては、鳥居がその西入口であることが判りにくかった。

2  前記市道浜鬼ヶ城線は、幅員約四メートルの舗装された道路であり、前記鳥居の前を経て、さらに少し南へ進んだ地点で、同じく幅員約四メートル、延長約四〇メートルのコンクリート舗装された臨港道路と接続しているが、右の両道路は、その舗装の状況、幅員、高低差などに外観上格別の差異がなく、あたかも入江沿いの一本の連続した道路のように見える。そして、右臨港道路をそのまま南に進むと、船着場(東西一〇メートル内外、南北五、六〇メートルのほぼ長方形をした、コンクリート製の場所)に至るが、その南の縁に設置されていた第一防波堤およびさらにその一〇メートル位南に平行に近い形で設置されていた第二防波堤には、それぞれその東側岩壁寄りに、二段程度の階段が設けられていた。

3  事故現場は、右の第一防波堤(約六・三メートル)の南側で、これと第二防波堤(約一〇・五メートル)の中間に当たり、その西側(約一二メートル)が海に面し、東側(約八メートル)が岩壁にさえぎられた、ほぼ扇状形をした自然の岩場地帯であるが、同所は、その東側岩壁際の幅約二・五メートルの部分がやや平坦であるほかは、西方の海面に向かって約二〇度の傾斜をなし、右平坦部分の高さも海面からわずか二メートル足らずであり、特に波の荒い熊野灘に面しているため、ひとたび海が荒れると、時折思いもよらないような高波が東側岩壁にまで打ちつけ、そこを通行する者が波に呑まれて海中に転落するおそれのある場所であった。

4  なお、本件事故当時、これらの港湾設置について、平素観光客がその港湾施設内に立ち入ることを禁止あるいは規制するとか、観光客が回遊路のコースと誤信して港湾施設に入らないよう注意を促すための標示、立札等を設けるとか、また荒天時に特に通行規制措置をとるとかいうことは、全くなかった。

三  以上の認定事実によれば、本件事故当時においては、鬼ヶ城を初めて訪れる通常の観光客は、前記鳥居の前から臨港道路及び船着場を経て、本件事故現場に至るコースが正規の回遊路であると誤信しやすく、かつそれが自然の成り行きでもあったから、そのような観光客が、右の鳥居の前を素通りして木本港の港湾施設内、特に事故現場方面に足を踏み入れ、高波による被害にあうおそれが大きかったものというべきである。

そして、港湾施設であっても、それが右のような状況にある場合には、その中で高波による危険な事態が発生するのを防止するため、その管理者において、臨港道路附近に、そこが港湾施設であることを明示し、観光客が回遊路のコースと誤信して右港湾施設内へ進入しないよう注意を促すための標示、立札等を設置するとか、少なくとも、本件事故当時の如く風雨波浪注意報が発令されている時には、右港湾施設内に立ち入ることを禁止する標識等を設置することが、その安全管理として必要であり、かつそれをしておけば、本件事故は防ぎ得たはずである。

したがって、右の港湾施設は、これらの設備が全くなかった点において、若干ではあるが通常具備すべき安全性を欠いていた、つまり右の港湾施設に対する被告県の管理に瑕疵があったものといわなければならないし、その結果本件事故が発生したことも明らかである。

四  以上によれば、被告県は、本件事故につき、国家賠償法二条一項による損害賠償義務があるというべきである。

第五被告市の責任について

一  先ず、《証拠省略》によると、弁護士吉田賢雄が、本件事故後、原告らの訴訟代理人として事故原因の調査のために被告市を訪ね、その際同市の助役に対し、被告市主張のような趣旨に解されかねない言辞を用いて右の調査につき被告市の協力を要請したことが窺われるけれども、人身事故を原因とする損害賠償の訴の提起を受任した弁護士が、その準備のため事故の原因を調査する過程において、将来被告の地位につくかもしれない者に対し、たまたまそのような言辞を用いたからといって、そのことから直ちに、双方の間に不起訴の合意が成立したとまではいい難く、他に右の合意があったことを肯認すべき証拠はないから、被告市の本案前の抗弁は採用することができない。

二  次に、原告らの被告市に対する請求は、本件事故が、鬼ヶ城の回遊路上ないしかつて回遊路であった場所か、あるいは被告市の管理にかかる臨港道路上で発生したものであることを前提とするものであって、前記第四の一において認定したところに徴し、理由のないことが明らかである。

第六過失相殺について

以上によれば、本件事故は、被告会社の被用者たる高橋の過失と被告県の港湾施設管理の瑕疵とが競合して発生したものといえるのであって、被告会社は民法七一五条に基づき、被告県は国家賠償法二条一項に基づき、共に連帯して原告らに対し本件事故による損害を賠償する義務を免かれないところ、前記第二の二において認定した事故現場の状況、当時の気象状況、事故に至るまでの経緯、事故の態様等に鑑みれば、被害者らも、事故現場が高波で危険な状態にあることを船着場辺りでは十分に認識することができ、したがって、そこから引き返すなどして、容易にみずから難を避け得たはずであるのに、旅先の気のゆるみなどから、敢えて危険を冒したという点において、かなりの過失のあったことが明らかであり、本件の賠償額算定について、その過失相殺割合を四割と認めるのが相当である。

第七原告らの損害額について

一  亡竹田に関する損害

1  同人の逸失利益

(一) 《証拠省略》によると、亡竹田は、死亡当時二六歳(昭和一八年三月生)の健康な男子であり、家族として妻と子供二人があったこと、同人は、昭和三七年四月から玉山村農協に勤務し、死亡当時、同農協の給料表の四級一二号俸の給与を支給されていたもので、生存していれば、同農協の給与規定上ある程度まで昇進することができ、昭和四四年七月から昭和七三年三月(同人が五五歳で定年退職するとき)まで、同農協から、給与及び諸手当として、各年別ごとに、別表(二)記載の額の支給を受けるはずであったこと(なお、右の推定額は、給料表の改訂に伴い請求の拡張がなされた時期、つまり昭和四九年七月から昭和五〇年六月までの期間のものをもって限度とするのが相当である。亡外川の場合も同じ)が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、同人の毎年の生活費は、年収の三割とみるのが相当であるから(なお、右の控除率を引き下げたことは、自白の撤回に当たらない)、以上の数値に基づき、その逸失利益の本件事故当時(昭和四四年六月末日とする。以下同じ)における現価を一年ごとに右の生活費を控除した残額について(各六月末日を基準とする)単利年五分の割合による中間利息を控除するホフマン式方法(当裁判所は、ホフマン式の方がライプニッツ式よりも、実情に合致し、相当であると考える)によって算出すると、同表記載のとおり、その総額が金一、六〇九万八、七二五円となる。

(二) 次に、《証拠省略》によると、亡竹田は、生存していれば、同農協を定年退職する時に退職金として、退職時の本俸月額(金七万二、二〇〇円)の六、〇〇〇パーセントに当たる金四三三万二、〇〇〇円の支給を受けるはずであったこと、同農協は、昭和四四年七月三〇日、同人の遺族に対し、死亡退職金三四万〇、八〇〇円の支払をしたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして、右退職金はその三割を同人の生活費とみるのが相当であるから、以上の数値に基づき、退職金に関する逸失利益の本件事故当時における現価を、単利年五分の割合による中間利息を控除するホフマン式方法によって算出すると、その額が金一一四万〇、四四五円となる。

(三) したがって、亡竹田の逸失利益の本件事故時における現価は、総計金一、七二三万九、一七〇円を下らないところ、そのうち四割を前記過失相殺分として控除すれば、被告会社及び被告県に対して賠償を求めうるのは、金一、〇三四万三、五〇二円となる。

2  相続

原告ミヨは、亡竹田の妻、原告由美、同健司はいずれもその子であることは当事者間に争いがなく、右原告三名が亡竹田の権利義務を等分に相続したことは、弁論の全趣旨により明らかであるから、右原告三名は、それぞれ、右の金一、〇三四万三、五〇二円の三分の一に当たる金三四四万七、八三四円について、亡竹田の損害賠償請求権を承継取得したことになる。

3  原告らの慰藉料

原告健一、同キヨノが亡竹田の養父母、原告由太郎、同ヒサが亡竹田の実父母であることは、当事者間に争いがないところ、以上原告七名が亡竹田の事故死により多大の精神的苦痛を受けたことは推測に難くない。そして、本件事故の態様、亡竹田自身の過失、後記四の事情等諸般の事情を併せ考慮すると、その慰藉料としては、原告由美、同健司につき各金八〇万円、原告ミヨにつき金四〇万円、原告健一、同キヨノにつき各金三〇万円、原告由太郎、同ヒサにつき各金二〇万円が相当である。

4  原告ミヨの出費

(一) 同原告が、葬式費用として金三〇万円の出費をしたことを認めるに足りる証拠はないが、当時の経済事情に徴すると、経験則上、葬儀費用として金二五万円程度はかかるのが普通であったと認められるから、葬儀費用は、金二五万円の限度で、本件事故と相当因果関係のある損害とするのが相当である。そして、亡竹田の過失を斟酌すると、原告ミヨは、右のうち六割に当たる金一五万円について、被告会社及び被告県に対し賠償を求めることができる。

(二) 《証拠省略》によると、本件事故後、原告健一、同ミヨら四名が熊野市に滞在し、さらに右四名が帰った後竹田方から三名の親族が同市に滞在し、そのための費用として原告ミヨ主張のように合計金七万五、五三五円を要したことが窺われるが、かかる費用は、当然には本件事故と相当因果関係のある損害とは認められないから、この点に関する同原告の請求は失当である。

5  まとめ

以上のとおりであるから、原告由美及び同健司はいずれも合計金四二四万七、八三四円(右2、3)、原告ミヨは合計金三九九万七、八三四円(右2、3、および4の(一))、原告健一、同キヨノはいずれも金三〇万円、原告由太郎、同ヒサはいずれも金二〇万円、並びにこれに対するそれぞれ昭和四五年一〇月一日(全被告に対する訴状送達後)から支払済まで民法所定の割合による遅延損害金について、これを連帯して支払うことを被告会社及び被告県に求めることができる。

二  亡外川に関する損害

1  同人の逸失利益

(一) 《証拠省略》によると、亡外川は、死亡当時一九歳(昭和二五年二月生、独身)の健康な男子であり、昭和四三年三月から玉山村農協に勤務し、死亡当時、同農協の給料表の五級八号俸の給与を支給されていたもので、生存していれば、同農協の給与規定上ある程度まで昇進することができ、昭和四四年七月から昭和八〇年二月(同人が五五歳で定年退職するとき)まで、同農協から、給与及び諸手当として、各年ごとに、別表(三)記載の額の支給を受けるはずであったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、同人の毎年の生活費は、年収の五割とみるのが相当であるから、以上の数値に基づき、その逸失利益の本件事故当時における現価を、前記亡竹田の場合と同様の方法で算出すると、同表記載のとおり、その総額が金九五五万五、九三一円となる。

(二) 次に、《証拠省略》によると、亡外川は、生存していれば、同農協を定年退職する時に退職金として、退職時の本俸月額(金五万三、四〇〇円)の六、〇〇〇パーセントに当たる金三二〇万四、〇〇〇円の支給を受けるはずであったこと、同農協は、昭和四四年七月三〇日、同人の遺族に対し死亡退職金三万〇、八八五円の支払をしたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右退職金はその三割を同人の生活費とみるのが相当であるから、退職金に関する逸失利益の本件事故当時における現価を、前記亡竹田の場合と同様の方法によって算出すると、その額が金七九万三、一八三円となる。

(三) したがって、亡外川の逸失利益の本件事故時における現価は、総計金一、〇三四万九、一一四円を下らないところ、そのうち四割を前記過失相殺分として控除すれば、被告会社及び被告県に対して賠償を求めうるのは、金六二〇万九、四六八円となる。

2  相続

原告勘次郎、同フミが亡外川の父母であることは当事者間に争いがなく、右原告両名が亡外川の権利義務を等分に相続したことは、弁論の全趣旨により明らかであるから、右原告両名は、それぞれ、右の金六二〇万九、四六八円の二分の一に当たる金三一〇万四、七三四円について、亡外川の損害賠償請求権を承継取得したことになる。

3  原告らの慰藉料

右原告両名が亡外川の父母として、同人の事故死により多大の精神的苦痛を受けたことは推測に難くなく、本件事故の態様、亡外川自身の過失、後記四の事情等諸般の事情を併せ考慮すると、その慰藉料としては、右原告両名につき各金一〇〇万円が相当である。

4  原告勘次郎の出費

(一) 葬儀費用は、前記亡竹田の場合と同様の理由により、金二五万円の限度で、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。そして、亡外川の過失を斟酌すると、原告勘次郎は、右のうち六割に当たる金一五万円について、被告会社及び被告県に対し賠償を求めることができる。

(二) 前掲証拠によると、本件事故後、原告勘次郎外三名の家族が熊野市に滞在し、そのための費用として同原告主張のように合計金七万五、五三五円を要したことが窺われるが、かかる費用は、前記一の4の(二)と同様、当然には本件事故と相当因果関係のある損害とは認められないから、この点に関する原告勘次郎の請求は失当である。

5  まとめ

以上のとおりであるから、原告勘次郎は、合計金四二五万四、七三四円(右2、3、4の(一))、同フミは合計金四一〇万四、七三四円(右2、3)、並びにこれに対するそれぞれ前記昭和四五年一〇月一日から支払済まで民法所定の割合による遅延損害金について、これを連帯して支払うことを被告会社及び被告県に求めることができる。

三  原告立花の損害

同原告の受傷状況は前記のとおりであるところ、さらに《証拠省略》によると、同原告(本件事故当時三九歳)は、右受傷により、昭和四四年六月二六日から同月三〇日までの間熊野市の病院に入院、その後同年八月末まで玉山村の病院に通院、さらに同年九月一日から同年一二月一五日まで盛岡市の病院に入院して、治療を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右のほか、本件事故の態様、同原告自身の過失等諸般の事情を併せ考慮すると、同原告に対する慰藉料は金三五万円が相当であるから、同原告は、右の金三五万円、並びにこれに対する前記昭和四五年一〇月一日から支払済まで民法所定の割合による遅延損害金について、これを連帯して支払うことを被告会社及び被告県に求めることができる。

四  なお、《証拠省略》によると、被告会社は、本件事故に際し、被害者らの捜索関係費、旅客及び遺族関係費等として総額金一二八万一、六六〇円を支出したことが窺われるが、右は、原告らの前記損害額から控除すべき性質のものでなく、慰藉料算定についての一資料として考慮すれば足りる事情にすぎないと考えられる。

第八時効の抗弁について

一  被告県は、原告らの被告県に対する請求について、三年の消滅時効が完成したと主張するが、その時効の起算点についての主張立証がないから、右の抗弁は採用することができない。

二  次に、本件訴訟において、原告らが、被告らに対する請求を、本件事故による損害及び加害者を知った昭和四五年九月二九日から三年以上経過した同五〇年二月六日に至って、総額金三、三八九万四、〇五九円から総額金五、九一一万六、一六一円に拡張したことは、原告らも明らかに争わないのであるが、一件記録に基づいて、当初の請求と右拡張後の請求とを、その内容について比較検討してみると、原告らは、当初の請求において、特に損害賠償請求権の一部について判決を求める趣旨を明示していたわけでなく、かつ訴提起後昭和五〇年にかけて、毎年玉山村農協の給料表が改訂されたので、それに合わせて、亡竹田及び亡外川の各年度の収入や退職金収入についての主張や証拠を整理、充実するとともに、生活費の控除率を三割に変えて、前記請求拡張をしたことが明らかであって、右拡張部分は、当初の訴状に記載された請求権と同一性の範囲内にあると解するのが相当である。そして、本件の損害賠償請求権について、昭和四五年九月二九日に訴提起のあったことは、被告会社および被告県において自認するところであるから、請求拡張部分についても、その訴提起による時効の中断の効力が及び、したがって、右拡張部分に関する被告会社及び被告県の時効の抗弁は理由がないことになる。

第九結論

よって、原告らの被告会社及び被告県に対する請求は、前記第七のうち、一の5、二の5、及び三に記載した金額の限度で、理由があるものとしてこれを認容し、原告らの同被告らに対するその余の各請求、並びに原告らの被告国及び被告市に対する各請求は、いずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条八九条九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用する。

(仮執行免脱の宣言は相当でないから、これをしない。)

(裁判長裁判官 本郷元 裁判官 須藤浩克 藤井輝久)

〈以下省略〉

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